エガオヲミセテ


避難指示解除後の飯舘村

説明会が終わったのが夜9時位。その日はいつも福島に行くときにお世話になっている今は福島市に在住の飯舘村民、八郎さん宅へ泊めていただきました。
翌日長野へ帰る予定でいましたが、その前に今年4月に帰還困難区域になっている長泥地区以外が避難指示解除となった飯舘村の様子を見に行きました。
飯舘村はもともと避難指示解除前から除染作業員などの工事関係者で日中は非常に賑やかでした。
この日も変わらず、道路の交通量は多かったのですがやはり地元の方というよりは工事車両や仕事中といった感じの車が多かったような気がしました。
八郎さんに聞くと村に帰ってきた人は5%くらいではないか、とのことでしたが、それも夜もずっといるのか昼間だけなのか正確なところはわからない、ということです。
住民票は村にあるが実際は住んでいない人も多く、正確な数字を把握するのは難しいということでした。
その後、役場、新しくできた公民館、再開した宿泊施設と見て回りました。
村にある元々の飯舘村役場には何度か行ったことがありましたが、中に入るのは初めてでした。
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各施設ともあたりまえですが職員が駐在していて仕事をしていましたが、村内の役場などの公的機関に人がいて動いている姿をそういえば僕は初めて見たのでちょっとした感動を覚えました。
気になる線量ですが、各施設敷地内はしっかりと除染したと見え設置されているモニタリングポストの数値は低いです。
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役場の横にある中学校。
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来年春に学校が村内に戻ったときに小中一貫校として統合され、この場所に子どもたちが通うことになるそうです。
線量は0.262μSv/h。
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僕の線量計では0.278μSv/h。大体同じです。
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続いてハコモノと批判された公民館も見学します。
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中は木をたくさん使ってあってとても明るく良いデザインだと感じました。
実はこの公民館の建て替え計画は震災前からあって老朽化に伴うものだったそうです。
今回建て替えた建物はその時の計画よりはコンパクトになっているとのことでした。
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子どものスペースもコンパクトで落ち着く雰囲気でした。
ただ、どのくらいの子どもがここを実際に利用するのだろう、とやはり思ってしまいます。(だからコンパクトなのか?)

再開した村の宿泊施設きこり。
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敷地内と建物内は線量も低く除染の効果がわかりますが、道路を挟んで目の前の林の際までいってみるとこの線量。
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ここが飯舘村であることを思い出させます。

村で一件だけやっているコンビニ。夜には閉まるそうです。
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建設中の道の駅。結構立派な建物でした。
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以上駆け足でざっと見てきただけですが、やはりここにきていろんなことがが急加速しているな、という印象を受けました。
というより4月の避難解除から、いやもっと以前からロードマップがしっかりとあって、それに基づいて着々と進めているだけなのかもしれません。
インフラや各施設は確実に復興に向かっています。ただ肝心の村民の気持ちと帰村への見通しはどのように見込んでいるのかは、そこから正直見えてはきませんでした。
経済的な事情や、その他さまざまな理由から村に戻るしか選択肢がない人たちもいます。そして今もいろんな立場の人がいろんな考えのもとに、それぞれ今後の村の姿を見据えて飯舘村と関わっていることと思います。
このような記事を書くたびに、その人たちのことを傷つけるのではないかと悩みます。
でも僕はやっぱり飯舘に通うし、そこで見て考えたことを記録していきたいと思うのです。

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常磐道~南相馬(小高駅)

今回の福島行きでは常磐道経由で行ったため、福島第一原発の割と近くを通ります。
そのため線量も高く、高速が開通したあとも所々にモニタリングポストが設置してあります。
途中のパーキングには放射線情報の表示モニターがありました。

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これによるともっとも線量の高いところは3.3μSv/h。場所は常磐富岡ICと浪江ICの間、つまり福島第一原発のほぼ真横に位置するあたりです。

その地点。ここから東に直線距離で約6kmのところが福島第一原発になります。
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ここは車内でも2.4μSv/hでした。車の中は多少遮蔽されるので低くなります。
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今回の目的である全体説明会の会場は南相馬市鹿島区にあるのですが、昨年7月にそれまで避難区域となっていた小高区と原町区の一部が避難解除となり、僕はそれ以降南相馬市に来たのは初めてでした。
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これまでにも何度か立ち寄ったことのあるJR小高駅前の様子。モニタリングポストの数値は0.135μSv/hを示しています。除染を念入りにやったと思われます。

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でもやっぱり植込みの近くはちょっと高めです。

駅周辺は空き地だらけです。
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地震や津波で痛んだ家屋を取り壊す工事がこの時も行われていました。

そして駅前に2015年、つまり避難解除前にオープンしたアンテナショップ「希来(きら)」に立ち寄り、少し話をしていたら高校生を乗せたバスが駅前ロータリーに入ってきました。小高産業技術高等学校の生徒たちだと思います。
そうか、電車通学なんだ、と今更ながらに思いました。

下の写真は僕が2013年10月に訪れた時の小高駅近くの常磐線線路の様子です。
震災2年半後の時でしたが、この時はこんなに早く常磐線が復旧するとは思っていませんでした。
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とはいえ、やはり周辺の田畑はすぐには耕作されていないみたいです。
大部分の田畑はこのように草ぼうぼう、といった感じでした。
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でも見かけるトラクターがとてもでかいのが気になりました。
あとで聞いたら補償金などで震災後に購入するケースが多いそうです。
せっかくだから、と大きなヤツを購入するのかもしれません。


その後、説明会の会場がある鹿島区へと北上します。
南相馬市は北から鹿島区、原町区、小高区の3つの区に分かれていますが、山間部を除いておおよそ原発に近い南の方が汚染が強く、小高区は事故後間もなく全域が避難区域となっていました。
対して鹿島区は大部分の地域で汚染度は低かったため、避難区域とはなりませんでした。

僕は人が住み続けているところと、そうでないところの差を南相馬で垣間見たような気がしました。
同じ市内でもまったく違う雰囲気が同居している。なんだか不思議な感覚でした。


続く
  1. 放射能
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全体説明会

今年で5回目となる信州伊那谷親子リフレッシュツアーに向けて、参加者募集で毎回お世話になっている「南相馬こどものつばさ」主催の全体説明会が5月31日にあり、受け入れ団体の一つとして参加するために福島県南相馬市まで行ってきました。
役目としては募集要項のチラシを配り、質問されたらそれに答えるというものでした。

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最初、会場の僕のブースの椅子に座って待っていたのですが時間になっても誰も入ってこなくてこりゃ大丈夫かな?と不安になっていたところ、隣ブースの団体の方が「隣の建物で式典みたいなものをやってるんだよ」、と教えてくれました。
その後、会場をこちらに移して参加団体別説明会となるということでしたが、ただ待っているのもつまらないので見に行ってみると、500人くらい入る大ホールに座りきれないほどの参加者で溢れかえっているじゃありませんか。これには驚きました。

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今まで、保養の相談会などに複数参加してきましたが、こんなに大人数の参加者でにぎわっている光景は見たことがありませんでした。
これはやっぱりどれだけ行政がかかわっているか、に尽きると思います。
こどものつばさはPTA関係者や教育委員会も深くかかわり、この日の説明会には来賓として市長も挨拶をしたようです。(僕は遅れて見に行ったので市長の姿は確認していませんがプログラムにありました)
そして僕らの企画を含めた各団体の保養ブログラムは南相馬中の小中学校へ配布され、子どものいるすべての家庭に届いているとのことです。
この日も代表西さんのお話では「保養」という言葉が普通に使われ、南相馬市ではチェルノブイリの被害を受け、現在も国の予算で子どもたちが毎年保養に行くことができるウクライナやベラルーシのような下地ができつつある、きっと日本では唯一の自治体なのかもしれない、と感じました。
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このような雰囲気があるおかげで、南相馬の親子は安心して保養ツアーに参加することができ、そしてそれがこの日の大賑わいにつながっているのだと思います。

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その後、各団体ブースの部屋もたくさんの人でごった返していました。

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上の写真は当日配られた資料で、南相馬市の子どもたちの様子という部分です。
ちょっと抜粋すると

「幼稚園」
〇外遊びが少なかったため遊び方がわからない・・・砂がさわれない、指を上手に使えない
〇室内で静かに過ごすことが多かった・・・体力の低下、運動機能の未発達、日光浴不足による健康障害(食欲不振、浅い睡眠)
〇家庭環境の変化・・・水は買うもの、睡眠障害、視力の低下、発達障害(落ち着きがない)支持を得てからの行動(過干渉傾向)、親が不安定(安心感が乏しい傾向)
〇施設面・・・待機児童が多い、医療施設が少ない

「小学校」
〇自己肯定感が低い
〇作文に心情面の良いところは書くが、技能的なことは書かない
〇運動の基本的なことが未経験のため、運動能力が低い、運動したがらない

抜粋ここまで

放射能の影響が健康にどのような影響を及ぼしているか、を実際に証明するのは大変困難なことです。ただ放射能が体に悪いということだけは確かです。
上記を読むと、放射能に気を付けて生活するということがどれだけストレスになり、そしてそれがたまっていってじわじわと心身に影響を及ぼして行っている様子が伝わってきます。
僕は保養の活動を続けていくにあたって、その意義を周りに伝えていくことがだんだんと難しくなっていくな、と感じていました。
「放射能?もう大丈夫なんじゃない?」とか「そんなに心配するレベルじゃないのでは?」
「たかだか3泊4日くらいで効果あるの?」という今は多くの人が抱いているかもしれない疑問に自分はしっかりと答えられるだろうか。そういう思いが常にありました。
しかし放射能とかいう以前に、普通に生活できないことの悪影響がどれだけ深刻になってきているかに今回あらためて気づかされ、そしてだから参加してくれた親子が毎回あんなに喜んでくれるのか、とちょっとだけわかったような気がしました。

僕らの信州伊那谷親子リフレッシュツアーは土に触れ、川に入り全身で遊ぶ、そんなプログラムです。今年も思いっ切りリフレッシュしてほしい。それが一番の目的なのです。


  1. 放射能
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ジビエと放射能③

2月15日で銃猟が、3月15日で罠猟が、それぞれ猟期終了となり、今年も狩猟期間が終わりました。
前々回のジビエの記事で一頭のイノシシからセシウム137が検出されたことを書きましたが、その後イノシシ2頭、シカ2頭を測定しました。
すべて長野県飯島町での捕獲です。

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12/22 シカ(雄)ハラ抜き53kg
ヨウ素131<0.6
セシウム134<0.9
セシウム137<0.8
不検出

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2/9 イノシシ(雄)体重未測定だが大きい
ヨウ素131<0.7
セシウム134<0.9
セシウム137 2.1 検出

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2/23 シカ(雄) 77kg
ヨウ素131<0.6
セシウム134<0.9
セシウム137<1.4
不検出

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3/8 イノシシ(雄) 約100kg
ヨウ素131<0.7
セシウム134<1.1
セシウム137<1.4
不検出

イノシシ一頭からセシウム137がわずかに検出されました。
測定したシカ2頭は大きな角を持ったオスでそれなりに年数を生きた個体だと思われたのでもしかしたら出るかも、と思っていたのですが結果は不検出でした。
やはりイノシシの方が出やすいのか?
そして最後に測定したイノシシは100キロオーバーの自身過去最大の獲物で、牙もこれまでで一番長く正確にはわかりませんが年も結構いってる個体だと思われ、間違いなく検出するだろうと思ったのですがこちらは意外にも不検出でした。わからないものです。

以下のリンクは行政機関による食品における放射性物質検査結果を網羅していると思われるサイトです。
ジビエに関してだけでもかなりの数になりますのでいろいろ参考になります。関心ある方はぜひご覧下さい。
http://www.radioactivity-db.info/category.aspx?q=%e9%87%8e%e7%94%9f%e9%b3%a5%e7%8d%a3%e8%82%89


猟師の減少や林業の衰退、そして人々の山や野生動物への関心低下などから今、日本の森はここ数百年でもっとも豊かになっているとも言え、それに伴って森林を生活圏とする野生動物もまたこれまでにないほど激増しています。
そんな背景もあり、獣害対策を求められる行政や農林業界ではあの手この手でジビエや狩猟を推進し、盛り上げようと躍起になっているのが現状です。
ですが獣肉に限りませんが野生のものは寄生虫や病原体、そして放射能をはじめ、その他人間によってもたらされる様々な化学物質にも汚染にさらされている可能性があり、問題なのはその汚染の度合いは最終的にはそれぞれの個体をひとつずつ検査してみないとわからないということでしょう。
ジビエ推進のために解体設備などを完備し、マニュアルを作って衛生管理、品質管理を徹底しても、もともとすべての個体が違っているのが野生獣肉であるので、ジビエの安全性をアピールしたいがために高品質で揃えようとすると、それに質が届かない相当量の肉を廃棄処分しなくてはならなくなるでしょう。
僕は自分で獲っているのでその獣の毛にダニ、シラミがびっしり付いていたり、疥癬病にかかっていたり、やせ細っていたり、逆に肥えて脂乗り抜群だったり、肉が硬かったり、臭いがあってまずかったり…etc.
つまりそれぞれすべてがまったく違っていることを体験上知っています。
そしてその都度、捕獲場所、季節、性別、年齢、捕獲方法、その後の処理、他何がその個体の肉質に寄与したかを考えます。
苦労して獲ってきて、なのに多くのリスクをはらみ、しかも品質はバラバラ。
それが本来のジビエの姿なのです。

今年それぞれ2ベクレル余り/kgのセシウム137を検出した2頭のイノシシ。
この肉を僕は食べています。
検出したのは確かなのであえて家族には食べさせませんし、入っているとわかっているものを人にあげることもしません。
自分の基準を決めているわけではありませんが、食べるために殺しているものをまったく食べずに捨てることは僕にはできません。
これが10ベクレルなら多分大部分は食べないで処分するかもしれませんが、とにかく今は僕はそのように対応しています。


「どこへ行けというのか。人間の汚した土地だろう。」

この言葉はチェルノブイリ原発事故によって避難区域となった村に暮らす人々の生活を追ったドキュメンタリー映画、「ナージャの村」「アレクセイと泉」などで知られる監督の本橋成一さんが1995年、現地取材中にかけられたというある老人の言葉です。
http://www.ne.jp/asahi/polepole/times/sosna/message.html
僕はこの言葉がずっと頭に残って離れないでいました。
地球を汚したのも、そしてもちろん自分も「人間」だ。
そして「人間」はこの地球に生きるしかないじゃないか。違うかい?
そう問われているような気がして、僕には何も反論できないのです。


もう一冊、考えさせられ、この件と関連するなと思った本を紹介します。
「アニマル黙示録」伊那谷が誇る写真家、宮崎学さんの写真集です。
s_animal[1]

この写真集も奇しくも1995年の出版で、もう絶版になっているようでもう新品を買うことはできなそうですが僕は図書館で借りました。
人間社会が出した様々なゴミにまみれながらもたくましく生きる動物たちを独自の視点から切り取った作品集で、ガンに侵されたと思われるタヌキの写真には胸を打たれました。
gaan_05[1]
http://www.owlet.net/gallery1/animalmokujiroku/←写真はこちらから引用

人間の歴史は環境破壊、汚染の歴史といっても良いかもしれません。
だから人間は汚染された食べ物を我慢して食べて贖罪せよ、と言いたいわけでは決してありません。
これまでも汚染により、その場所に暮らす動物も、時には人間自らも汚染を原因とする病を公害病という形で被ってきました。
汚れたものはまずは避ける、そして他に安全なものを求めるべきといった選択行動は確かに生きるためには大切ですが、汚染された土地と安全であると思われている場所とは別世界ではないということは忘れてはいけないと思います。
避難し、スーパーで産地を選ぶだけでは問題は根本的には解決しません。
そして安全だと思っているその食品が本当に安全とも今は限らないのです・・・




  1. 放射能
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飯舘村小学校訪問(2017)

先週、福島の川俣町にある飯舘村の仮設小学校へ訪問してきました。
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今年で3回目(一回目の様子はこちら→http://grey941.blog.fc2.com/blog-entry-50.html)となるこの取り組みは僕の地元、飯島小学校の特別支援学級の子どもたちがバザーなどで貯めたお金で本を購入、飯舘村の支援学級の子どもたちへ送るというもので、僕が小学校へ行って直接子どもたちから受け取り、福島へ持って行き交流ある飯舘村の佐藤八郎さんに手渡し、八郎さんから子どもたちへ手渡してもらう、というリレー形式で行う贈り物でした。

前もって「本をたくす会」がありました。
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宅急便で発送してしまっても良いのですが、そこは人から人へというちょっとした(かなりの)手間をかけることで双方の子どもたちにとって、より思い出深いものとなるであろうことからの演出的な意味がありました。
でもこれは子どもたちのためだけではなく、僕自身にとっても直接学校の中へ入って子どもたちと対面でき、先生方にも現状をお聞きできる貴重な機会となります。
今回も校長室で子どもたちを待つ間、校長先生から直接貴重なお話を聞くことができました。
それによると現在児童は全部で108人、来年4月(学校が飯舘村内に移る)には51人に減ることが確定しているとのこと。
現6年生は32人、対して来年度の新入学生は2人と学年が低くなるほど人数は減るとのこと。なぜなら現5年生までは飯舘帰村までに卒業できるが、4年生から下は飯舘村の学校へ通わなければならず、それを避けるために転校を決断する保護者が多くいるためだということでした。
村としての避難指示解除は今年の3月末以降ですが、仮設住宅や学校は一年間猶予があり来年度からということが決まっており、先の村長選の結果次第では大きく変わる可能性があったため(立候補した佐藤八郎さんは現時点での解除反対)それまで様子見だった保護者もいたようでした。
現職の当選により、結果的に帰村が確定的となり、様々な事情から村へ帰る選択をする家庭もあるようですがその数は少なく、年々児童数が減っていくことは間違いなさそうで先々のことを思うとかなり厳しいと言わざるを得ないとのことでした。
また32人の6年生の内、飯舘中に進む児童は9人。あとは川俣町や福島市など合計10校の中学校へぞれぞれ別れて進学することが決まっているそうで本当にバラバラになってしまいます。
そして現在の仮設小学校に通う児童は全員飯舘村の元の学校を知らないと聞かされ、震災から6年が経つということはそういうことなんだな、と改めて流れたその月日の長さを感じました。
児童たちはみんなこの仮設校舎が自分の母校だ、と思っているとのことでした。
その後、支援学級の先生と一緒に子どもたちが入ってきてお互い挨拶をし、八郎さんから箱が手渡されました。本の入った箱を開けると4人の子どもたちはとても嬉しそうな声をあげて中のリンゴと本を手に取って喜んでいました。
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全員の子を覚えていたわけではありませんでしたが、確かに昨年会った子の顔を再び見ることができ、成長も感じ取ることができてうれしい再会となりました。

原発事故による放射能汚染で全村避難となった飯舘村では全国から様々な形での支援も届いていると聞きます。
小学校にも日頃から僕のような訪問者が頻繁にやってくるのでしょう。
この時も最初の校長先生の対応は「えーっと今日はなんでしたっけ?」みたいな感じでなんかそっけないというか、まあ慣れている感じでした。
もしかしたら子どもたち自身も「よくあること」という感覚になっているかもしれません。
校長先生からも「たくさんの支援はありがたいがそっとしておいてあげたい気持ちもある」という話もありました。
確かに望まれていない支援はかえって迷惑なこともあると思います。
でもこの活動は飯島小学校で関わる子どもたち、保護者、そして先生方にとっても普段は意識することが少ないであろう福島、飯舘村のことを思い、考えるということにおいても大きな意義があると僕は感じています。
ですが残念ながら諸事情により贈り物を直接持って行くのは今回が最後の可能性が高いとのこと。
僕としては来年以降、小学校が飯舘村に帰ったのちの状況をきちんと見ていきたいという気持ちもありますが難しいかもしれません。
自分の関わる活動も含め、月日が経つとともに終わってしまったり縮小したりという流れは当然と言えば当然かもしれません。
ですがたまに福島に行くとテレビ番組、新聞報道も当然震災、原発関連が多く、それらを嫌でも意識させられます。
そして飯舘村の方々や今回はその隣、川俣町の方にもお会いする機会があり、短い時間では決して語りつくせぬ思いの一端だけですが聞かせてもらうことができました。
この春から避難解除をする自治体が更に増えてきますが、もちろん事故が終息し安全になったわけではありません。
行かなければわからないことがたくさんあることを今回もあらためて気づかされました。
今後もまた機会を作って伺おうと思っています。


川俣町の公民館にあったモニターは各地の放射線量をいつでも見られるようになっていました。
こういったものやモニタリングポストが今もいたるところで見かけます。
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細川牧場も新畜舎を作ったということで久しぶりに行ってきました。
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猛犬注意!

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猛犬
超なつっこいです(笑)

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馬も元気でした(^^)



  1. 放射能
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プロフィール

オバタ

Author:オバタ
信州の樵です。

かつて、エガオヲミセテという競走馬がいました。彼女は不幸な事故でこの世を去ってしまいます。ということは全く関係がないのですがブログのタイトルを考えていたらふとこの名前を思い出しました。
「笑顔」とは、人のみが獲得した最強のコミュニケーションツール。大きな力を秘めています。だからみんなで、笑顔を見せて!

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