エガオヲミセテ


飯舘村小学校訪問(2017)

先週、福島の川俣町にある飯舘村の仮設小学校へ訪問してきました。
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今年で3回目(一回目の様子はこちら→http://grey941.blog.fc2.com/blog-entry-50.html)となるこの取り組みは僕の地元、飯島小学校の特別支援学級の子どもたちがバザーなどで貯めたお金で本を購入、飯舘村の支援学級の子どもたちへ送るというもので、僕が小学校へ行って直接子どもたちから受け取り、福島へ持って行き交流ある飯舘村の佐藤八郎さんに手渡し、八郎さんから子どもたちへ手渡してもらう、というリレー形式で行う贈り物でした。

前もって「本をたくす会」がありました。
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宅急便で発送してしまっても良いのですが、そこは人から人へというちょっとした(かなりの)手間をかけることで双方の子どもたちにとって、より思い出深いものとなるであろうことからの演出的な意味がありました。
でもこれは子どもたちのためだけではなく、僕自身にとっても直接学校の中へ入って子どもたちと対面でき、先生方にも現状をお聞きできる貴重な機会となります。
今回も校長室で子どもたちを待つ間、校長先生から直接貴重なお話を聞くことができました。
それによると現在児童は全部で108人、来年4月(学校が飯舘村内に移る)には51人に減ることが確定しているとのこと。
現6年生は32人、対して来年度の新入学生は2人と学年が低くなるほど人数は減るとのこと。なぜなら現5年生までは飯舘帰村までに卒業できるが、4年生から下は飯舘村の学校へ通わなければならず、それを避けるために転校を決断する保護者が多くいるためだということでした。
村としての避難指示解除は今年の3月末以降ですが、仮設住宅や学校は一年間猶予があり来年度からということが決まっており、先の村長選の結果次第では大きく変わる可能性があったため(立候補した佐藤八郎さんは現時点での解除反対)それまで様子見だった保護者もいたようでした。
現職の当選により、結果的に帰村が確定的となり、様々な事情から村へ帰る選択をする家庭もあるようですがその数は少なく、年々児童数が減っていくことは間違いなさそうで先々のことを思うとかなり厳しいと言わざるを得ないとのことでした。
また32人の6年生の内、飯舘中に進む児童は9人。あとは川俣町や福島市など合計10校の中学校へぞれぞれ別れて進学することが決まっているそうで本当にバラバラになってしまいます。
そして現在の仮設小学校に通う児童は全員飯舘村の元の学校を知らないと聞かされ、震災から6年が経つということはそういうことなんだな、と改めて流れたその月日の長さを感じました。
児童たちはみんなこの仮設校舎が自分の母校だ、と思っているとのことでした。
その後、支援学級の先生と一緒に子どもたちが入ってきてお互い挨拶をし、八郎さんから箱が手渡されました。本の入った箱を開けると4人の子どもたちはとても嬉しそうな声をあげて中のリンゴと本を手に取って喜んでいました。
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全員の子を覚えていたわけではありませんでしたが、確かに昨年会った子の顔を再び見ることができ、成長も感じ取ることができてうれしい再会となりました。

原発事故による放射能汚染で全村避難となった飯舘村では全国から様々な形での支援も届いていると聞きます。
小学校にも日頃から僕のような訪問者が頻繁にやってくるのでしょう。
この時も最初の校長先生の対応は「えーっと今日はなんでしたっけ?」みたいな感じでなんかそっけないというか、まあ慣れている感じでした。
もしかしたら子どもたち自身も「よくあること」という感覚になっているかもしれません。
校長先生からも「たくさんの支援はありがたいがそっとしておいてあげたい気持ちもある」という話もありました。
確かに望まれていない支援はかえって迷惑なこともあると思います。
でもこの活動は飯島小学校で関わる子どもたち、保護者、そして先生方にとっても普段は意識することが少ないであろう福島、飯舘村のことを思い、考えるということにおいても大きな意義があると僕は感じています。
ですが残念ながら諸事情により贈り物を直接持って行くのは今回が最後の可能性が高いとのこと。
僕としては来年以降、小学校が飯舘村に帰ったのちの状況をきちんと見ていきたいという気持ちもありますが難しいかもしれません。
自分の関わる活動も含め、月日が経つとともに終わってしまったり縮小したりという流れは当然と言えば当然かもしれません。
ですがたまに福島に行くとテレビ番組、新聞報道も当然震災、原発関連が多く、それらを嫌でも意識させられます。
そして飯舘村の方々や今回はその隣、川俣町の方にもお会いする機会があり、短い時間では決して語りつくせぬ思いの一端だけですが聞かせてもらうことができました。
この春から避難解除をする自治体が更に増えてきますが、もちろん事故が終息し安全になったわけではありません。
行かなければわからないことがたくさんあることを今回もあらためて気づかされました。
今後もまた機会を作って伺おうと思っています。


川俣町の公民館にあったモニターは各地の放射線量をいつでも見られるようになっていました。
こういったものやモニタリングポストが今もいたるところで見かけます。
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細川牧場も新畜舎を作ったということで久しぶりに行ってきました。
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猛犬注意!

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猛犬
超なつっこいです(笑)

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馬も元気でした(^^)



  1. 放射能
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単独忍び猟

ジビエの記事が途中ですがちょっと今日のことを。
こちら南信地方、昨晩は結構雪が降りました。
雪が降った翌日に仕事が休みなら、猟師は出猟です。
銃猟では複数人数で行うグループ猟が良く知られますが、単独で行う猟もあります。
単独猟は車で流して獲物を見つけたら急いで車から降り撃つ「流し猟」と、獲物に気づかれないように近づいて撃つ「忍び猟」があります。
僕は今年、グループに入れてもらい、猟犬とともに山を歩いて行うスタイルの猟も体験させてもらいましたが、やはり単独で行う忍び猟の技術も磨きたいと思っているので絶好のチャンスである今日、早速行ってきました。
なぜ雪が降るとチャンスかというと足跡が付くからです。
昨晩降ったのなら今朝ついている足跡は間違いなく雪がやんだ後の新しいものだということです。
その足跡を追って行けばもしかしたら追いつけるかもしれません。
そうはいってもガサガサと音を立てながら歩いて行っては獲物に先に気づかれてしまいます。
そのため、文字通り「忍び」足で足跡を追跡するのです。
忍び猟には先回りして待ち伏せするスタイルもあるようですが、今日は足跡を追うスタイルでやろうと思っていました。

朝、いつも罠をかけている林道に向かったものの、雪が多くて入っていけない状態でした。
そのためずっと下の林道に車を止め、徒歩で山を登って行きました。
しかし思ったより気温が高かったため、枝に乗った雪がボタボタと解けて落ち、林内はまるで雨が降っているようでした。
足跡も分かりづらくなってしまっていて、これは厳しいかな?とややあきらめモードになります。
それでもまあせっかく来たし経験を積まねば、ということで継続、登ることにしました。
15分くらい登るとさっき入れなかった林道へと到着。そこから林道を歩いて行きます。
ほどなくシカの足跡が。林道を横切り、斜面を登って行くその足跡はなんと僕が仕掛けてある罠のすぐ10cm横です。
悔しいけどとりあえず足跡を見つけました。トレース(追跡)開始です。

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途中わかりづらいところもありましたが慎重に探し、何とか跡を追って行きます。

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日当たりの良いところは雪が解け、足跡がわからなくなります。

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木の皮を食べた跡。新しいです。

僕の見立てだと3時間以内くらいの足跡でしょうか。(自信はありませんが)
途中、昼食のおにぎりとパンを立ったまま食べ、お茶を流し込んで再び追います。
思ったより雪が滑り、何度もずっこけながらなんとか追って行きました。
シカもずっと歩いているわけではないのでいつか追いつけるはずだ、と信じて追いますが、3時間経っても追いつけません。
その間、二度ほど派手に滑り落ち、銃のストラップは壊れ、ストックは折れ、と心も折れそうでした。

車への帰りの時間を計算するとそろそろタイムアップだな。決断し、後ろ髪引かれながらも足跡を離れることにしました。
車の方向へと向かって歩いていき、スタート地点の林道へと降りた時見たものは、なんと僕が歩いた足跡と交差するさっきは間違いなくなかったシカの真新しい足跡でした。しかもそれは車の方向へ向いています。
大きさ、方向から僕が追っていた足跡の可能性もあるな、と思いました。
近いのか?一気に緊張感が高まります。
そっちの方向なら、と再度足跡を追跡。15分後くらいだったでしょうか。立派な三段角のオスジカが突然目の前に現れたのです。

距離は5、60mくらいでしょうか。僕が気づくのとほぼ同時、シカも頭をフッと上げ、こちらに気づきました。
ストラップが壊れていたため、左手に持っていた銃を素早く構え、すかさず撃ちました。
が、シカは横を向き、走り去ろうとします。(外れたか?)
すぐに二発目を、と構えたその時、左側にもう一頭、一本角の若いオスジカが視界に入りました。
やはり2頭だったか。
ほとんど同じ足跡を踏みながら歩いていたと見え、一頭か二頭か途中迷いながらの追跡だったのですが(しかも足跡も大きな足跡しかなかった)オスジカ二頭の群れだったとは。
とはいえ銃の照準は一頭目。集中して二発目を撃ちます。
でも走っていってしまいました。(泣)
シカがいた地点へ急ぎ、確認すると血痕があります。

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当たっていた。しかし出血は少なそうです。
かすり傷か?逃げる足跡もしっかりとしていて、いずれにしても致命傷ではなさそうです。
しかし半矢ではかわいそうです。再び追跡します。
方向はまっすぐ僕の車の方向です。
たまに血が落ちていますがやはりほとんど出血はしていなそうです。
しばらく行くと前方に車が見えてきました。
足跡はなんと僕の車のすぐ横を通り抜け、先へと続いていました。
歩き始めて4時間余り。車に到着したこともありますが、多分これは追いつかないだろうな、とここであきらめることにしました。
そうとうくたびれましたが、シカに追いつけたこと、そして弾が当たったこと、これは正直うれしかった。
悔しさも残りましたが、また次回に頑張るとしましょう。
課題はやっぱり射撃の腕でしょう。もっと練習しなくてはいけません。
傷を負わせて取り逃がし、シカにも申し訳ないことをしました。

こっちは銃を持っているしフェアじゃない。それにわざわざ撃ち殺して食べなくても僕は生きていけます。
ですが4時間以上の一対一(一対二でしたが)の時間がとても至福の時だったような気がして、なんだか「生きてる」って強く実感したような気がするのです。
間違いなく本気で命を追い、向き合った4時間でした。

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ジビエと放射能②

野生獣肉の汚染についてもう少し考察してみます。
少ない情報をもとにした僕の推測なので話半分に読んでください。
まず前回記事にリンクを張った長野県の測定結果について、南信では明らかに飯田下伊那方面からの方が多く検出しています。
これはどうしてなのか?
まず平成23年に行った飛行機からの線量のモニタリング調査の結果の図を見てみます。

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これを見ると長野では汚染が最も強い東信、大町を中心としたエリア、そして南信全体に線量の高いところが点在しています。
一見すると汚染があるように見えますが、実は福島第一原発に由来する線量の増加は東信だけで他は元々自然にある放射線を検知したものです。
花崗岩などはカリウムを多く含み、ガンマ線を出します。
これら自然に放射線を出す地質の影響を受けた地域は若干線量が高くなり、これは心配することのないものです。
これを考慮して地表に沈着したセシウム137,134両核種を予測した表が下記になります。

231111koku-004.jpg

汚染は東信のみになりました。
ですが実際は微量な汚染がまばらに点在しています。
これを知るには知りたい地点の土壌検査をするしかありません。
僕が以前行った土壌検査の結果が下記になります。

201406172118050f5[1]

多くの方に協力してもらい頑張りましたがすべてを網羅することはできません。
飯田、阿南など下伊那から検出していますが、伊那からも検出があり有意差はこれだけでは確認できませんでした。
土壌検査でははっきりしない微量な汚染でもさらに汚染が濃縮する野生獣肉やキノコなどを調べることで高精度な測定器を用いなくてもある程度は把握することができます。
キノコは特にセシウムを集め、濃縮する特徴があるので格好のバロメーターとなります。
僕は以前は山のキノコも好んで食べていたのですが、事故以降はほとんど食べなくなりました。
食品の中ではもっともリスクが高いので進んで取る気がしなくなってしまったためです。
今後は測定用に採取してみたいと考えています。

野生獣肉には他の食品にはない注意すべきポイントがあります。
それは自らかなり広範囲にわたり移動する、ということです。
特にシカは百キロ以上を移動する例も確認されていて、「検出=その場所の汚染」とは限らない、ということは心に留めておくべきでしょう。

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昨年10月30日の信濃毎日新聞の記事です。シカの大移動について書かれています。

イノシシもシカよりも狭い範囲で生活すると言われていますが、海を泳いで島へ渡った例などたまに長距離を移動する個体も存在するようです。
特に中央アルプスの峰くらいは越えてくるようなので、伊那谷側と木曽谷側からとの行き来はあると思った方が良いでしょう。(27年3月23日にイノシシから16ベクレル検出した大桑村は飯島町の中央アルプスを越えた真裏に位置しています)
南アルプス側のシカは県境を越えて山梨や静岡から移動してきている可能性もあり、これについても地形や標高、その年の気候、山塊の大きさなどによっていろんなパターンが考えられると思います。
とにかく一筋縄ではないのが獣肉の汚染でしょう。

下伊那の汚染の可能性について、下記のようなデータもあります。
http://nsed.jaea.go.jp/fukushima/data/20110906.pdf
これは平成23年9月6日付けで、日本原子力研究開発機構から出されていた世界版 SPEEDIによるシミュレーションです。
3月12日の水素爆発による大気中への大放出から、その後の風向きの変化と降雨による影響でセシウム137がどのように地表に沈着し汚染をもたらしたかを推測したものです。
一部を抜粋します。

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あくまで当時の推測の図ですが、汚染を示す黄色いエリアが南アルプスから伊那谷にかけて確かにかぶっているのがわかります。
この予測はセシウム137のものですが、当時福島第一原発からはセシウム134、137がほぼ同量放出されたと言われています。
ですが半減期がそれぞれ2.1年、30.2年のため年数を経るごとに残留するその比率は変わっていきます。
参照→https://www.kankyo.metro.tokyo.jp/policy_others/radiation/about/hangenki.html
一年後で137は134の1.36倍、二年後に1.84倍、三年後に2.51倍…と推移し、約六年が経過した現在は6.21倍と食品などからセシウムが検出されたとしても、その量が少ないと134の方は検出限界以下となってしまい検出できないということになります。
この比率の計算は検出されたセシウムが福島原発由来かどうかを判断する材料にもなります。
長野県の獣肉検査を見てみると最近は134が検出できないほど少ないレベルとなってしまっていますが、事故後わりと時間が経っていないものや、軽井沢など汚染があり比較的数値が大きいものを見てみると、そのセシウムが福島原発由来であることがわかります。
ですが一つだけ、気になる数値を示している検体がありました。
それは平成26年10月22日の売木村で捕獲したシカで、他のものと比べて見ると明らかに異質です。
まずセシウム137が21.5ベクレル/kgと南信地域としては大きな数値がでたこと。
そして事故後3年半であるこの時期ならば137が21.5ベクレル出たら134が6~8ベクレルくらい出るはずだ、という2点が引っかかります。
なのに134の検出限界3.38にもかかわらず不検出。
この値が間違いでなければ、あと考えられる可能性はチェルノブイリ原発事故や核実験などによるセシウム137の汚染が影響した、ということでしょうか。
チェルノブイリ事故の影響に関しては日本にもその汚染が及んでいるといいます。
日本中をつぶさに調べればきっと不可解な値を示す検体も出てくると思われます。
放射能汚染は福島の事故の実はずっと以前から日本に存在したのでしょう。


続く

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ジビエと放射能①

年の瀬ですが先日捕獲した大きな雄イノシシを放射能測定しました。

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捕獲場所は長野県、飯島町七久保。
結果はセシウム137をわずかながら検出しました。
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一回目は2.4ベクレル/kg.
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念のためもう一度測って3.0ベクレル/kg。
測定機械の検出限界からも半減期2年のセシウム134はあったとしてもセシウム137の半分以下であると思われるため、検出できないレベルでしょう。

長野県では東信、北信などで福島原発事故による汚染がそれなりに及んでいる場所があります。
では中信、南信はまったく汚染がなかったかと言えばそうではなく、これは長野県に限ったことではありませんが薄く広く、日本中どこでも汚染があってもおかしくないと思った方が良いでしょう。
とは言ってもここら辺の汚染レベルは低く、これまで測定してきた様々な食品の結果からも日常生活でそれほど気にすることはこの南信地域ではないと言っても良いと僕は思います。

僕は以前、南信地域を中心に多くの方に協力をいただき土壌測定を行ったことがありました。
その時の結果はこちら→http://grey941.blog.fc2.com/blog-entry-34.html
ほとんどの地点で不検出となったことからも概ね汚染されなかったことがこれによってわかりました。
ただ微量ながら検出した場所があったことも事実で、もっと網羅的に調べたら局所的に濃いところがあるかもしれません。
また、全体に汚染が薄いといっても自然界には生態濃縮(生物濃縮)というものがあり、食物連鎖の上に行くほど汚染物質が濃縮していくといった性質があります。
野生の大型動物による獣肉はこの点を注意しないといけません。
他にも、キノコ、山菜はセシウムを濃縮しやすいとされ土壌汚染の程度が低くてもこれら野の物を食べるときは十分に注意すべきでしょう。
僕が今まで測定してきたものは土壌や市販の食品が多く、野の物はそれほど測定してきていませんでした。
自分が狩猟をやるので獲物を定期的に測定していこうと考え、主に自分の猟場である飯島町や中川村などで獲れたシカ、イノシシなどをこれまでに5頭測定しました。
その中では初めての検出となりましたが、これは長野県が行っている定期検査→http://www.pref.nagano.lg.jp/yasei/sangyo/ringyo/choju/hoshasei.htmlでも今まで出なかったエリアでの検出になりこの地域に住む人にとっては驚く人もいるかもしれません。
ですがこの長野県の検査でも伊那谷地方、主に下伊那方面の検体からたびたび検出されており、伊那や諏訪からも検出例があることからも飯島、中川の個体から検出されても何ら不思議はありません。
高精度に測定できるゲルマニウム半導体計測器で測定すれば検出できるのかもしれませんが、以前の僕の土壌検査では検出がなかった飯島町でイノシシから検出したことの原因の一つに前記した生態濃縮があります。
今回検出した個体は大きな雄。正確な年齢はわかりませんが、それなりに年数を生きた個体であると思います。
高齢で大型の個体の方が食べる総量と生物学的半減期の影響から体内にセシウムをため込みやすいのではないか、と僕は考えています。
(生物学的半減期とは生物が体内に取り込んだ放射性物質が体外へ排せつ物などから半分排出される期間を差し、高齢になるほど長くなると言われています)
また、イノシシは地面に落ちているドングリや埋まっている植物の根、土中の昆虫などを食べるという食性から土を一緒に食べてしまうことが多く、同時にセシウムを取り込んでしまう可能性が高いとも考えられていました。
長野県の検査ではシカに比べてイノシシの測定が少なく、比較するには数が足りないと僕は考えているのですが、ではシカが出にくいかと言えばそうでもなく、定期的に検出されています。
これはシカも新芽や木の皮など植物質に限られるものの、セシウムが付着、濃縮しやすいものを大量に食べるため、その体内にため込む可能性が高いことからくるのだと思います。
今後もシカ、イノシシ、雄、雌、年齢など今後もいろいろ調べていって自分なりに動向をつかんて行きたいと考えています。

今年獲れたイノシシ、もう一頭は不検出。(63kgメス、セシウム137<1.1 セシウム134<1.0)
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オスジカも不検出でした。(ハラ抜き53kg、セシウム137<0.9 セシウム134<0.8)
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続く

  1. 放射能
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福島の現状(を電話で聞いてみた)

福島など放射能汚染がある地域に暮らさざるを得ない親子を伊那谷へ招待し、保養をしてもらう信州伊那谷親子リフレッシュツアーを行う有志の集まり、伊那谷親子リフレッシュプロジェクトでは毎月一回の会合を欠かさず行っています。
基本的には夏のツアーに向けての準備になるのですが、資金集めや啓蒙活動のためのイベントを行ったりもしていました。
2013年から始まったリフレッシュツアーは今年で4回目を数え、震災からはもうじき6年が経とうとしています。
そうした中、今年はイベントなどを行わず、毎月の会合時に3回に分けてテーマを決め、スタッフの勉強会をやっていこうということになりました。
11月の一回目は放射能の特性やリスクについてもう一度みんなでおさらいしました。
そして先日の12月の回は「福島の現状」という課題でスタッフそれぞれが情報を持ち寄りました。

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勉強会の様子

福島の現状を知るには福島に行って直接見聞きするか福島に暮らす人に話を聴かなければなりません。
僕はこの夏以降は福島へ行っていないので最近の状況はわかりません。
そこで現地に住むいろいろお世話になっている三人の方に電話して話を聴いてみました。

お一人目は先日の飯舘村の村長選を戦ったHさん(バレバレですが)
以下箇条書き

村は加害者(東電、政府)の言いなりになってしまっている。
復興復興、どんどん金をつぎ込む。
飯舘村内の帰村に向けた長期宿泊の申し込み1割くらい。
3月帰村の計画だが、1割から多くて2割くらいしか戻らないだろう。
日中は動物、除染作業員でいっぱい。
金がある人は二重生活ができるが、貧困者、体の弱い人は無理。そういう人は戻らざるを得ない。山の幸を食べる生活に否応なしに戻る。
避難解除を許さないという人の中にも(解除推進の)現村長を推す人がいる。
ここまできて今更(政策的に)後戻りすることの方が怖い。
選挙戦、前半は勝っている手ごたえだった。後半、相手もなりふり構わなくなり、政党批判やえげつない攻撃が増えてきた。
そうはいっても40%以上の支持がえられたといういこと、代弁してくれてありがとう、という、言葉を多くもらうなど、手応えも感じた。


二人目は南相馬に在住の林業と福祉施設経営の二足のわらじのKさん

放射能を気にする人はもう引っ越してしまったので残っている人は気にしない。(気にしてもしょうがない)
自分の見た範囲に健康被害はない。いくつもの小学校に関わって2~300人の子どもたちを見たが甲状腺がんの子は見たことがない。
自分は自分の見た、経験したことしか信じない。
町中に全国からの除染や建設作業員があふれ、コンビニ、飲食業、ガソリンスタンドはにぎわっている。
震災成金がたくさんいる。
両親とも地元の人は地元に残っているケースが多い。(職場も役場、農協、など)
自身移住者だが20年経ってもいつまでたってもよそ者扱いされる。
今までは育林の仕事が主だったが今はほとんどない。ほとんどが汚染地域になってしまい、今は仕事ができる森林が以前の1/4の面積。
従業員も続かない。
仕事にやりがいを見いだせない。
今は考え方を変えた。たった一つの地球、海を汚さないために仕事をしよう。除染、山作り、など今やらなくてはいけない、誰かがしなくてはいけない仕事を誰も喜ばなくてもやろう。
自分は目の前に困っている人がいたらできる限り手を握っていてやりたい。
自らの定年を55歳にするか60歳にするか決めてないが、その時が来たら全国どこでも行けるので事業を人に委ねてどこかへ行こう。


そして三人目は飯舘村を中心に仮設住宅を回ってボランティアでマッサージを続けるMさん

家族間での(特に高齢世代、子育て世代の)考え方の違いが顕著になってきていると思う。
特にお金が絡むと軋轢が大きくなる。
自身は高齢世代と触れ合うことが多いが、感覚として昔ながらの村の暮らし、仕組みに心をはぐくむ大切なものが詰まっているような気がする。
震災前から若い世代は村外に勤めに行くケースが多く、意図せず核家族化してしまった現状に内心、良かったと思っている人も多いと思う。
高齢世代に話を聴くと、若い世代に冷たくあしらわれてしまったと嘆く方が多い。
日本全国で壊れていると感じる社会のルールをはぐくむ地域の形が飯舘では特に顕著に目に見える形で表れていると感じる。
そしてそれがジェネレーションギャップもさらに大きなものにしている。
1対1になると本心を語ってくれる人が多い。
行政区的な組制度よりももっと小さく気軽に集まれるサロン的なもの、仕組みが必要だ思う。
時間をかけて安心感を作り出す、「人の心」を育てはぐくんでいくことが重要。

ここまで

それぞれ20分くらいの短い時間でのお話だったのでもちろん限られた情報でしかありません。
三人の方はそれぞれ取り組まれていることは違いますが、間違いなく原発事故に大きな影響を受け、その後の生活がガラッと変わってしまった方たちだと思います。
でも本当に一生懸命に目の前の問題に取り組み、僕がたくさん刺激を受け、そして尊敬している方たちです。
お話を聴くと当然置かれている立場や状況によって考え方はまちまちです。
でもそんな中、三人のお話の中で共通する点があることに気づきました。
それは進む復興の過程で必ず発生する「置き去りにされる人たち」の存在の問題です。
貧困状態にある人達、高齢者、障がい者、そして子ども達などのいわゆる社会的弱者が常に存在し、そしてある程度の犠牲はしょうがないよね、といった風に少しずつ、切り捨てられていっている状況があります。
思えばこういうことは福島に限らず、歴史上ずっと繰り返されてきたのかもしれません。
「そんな細部や底辺にまで気を配っていたら全体が進まない」
そんな主張、考え方が当たり前になって蔓延していくことは決して良い結果には結びつかないと僕は思います。
気が付かないうちに「弱者」のボーダーラインは上がってゆき、知らないうちに自分がその中に入っていることになる。漠然とですが僕はそんな世の中になっていってしまうような気がしています。
形ある物の復興ばかりを急いではいけない。
「時間をかけて人の心を育むことが大切」Mさんの言葉が強く心に残ったのでした。

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プロフィール

オバタ

Author:オバタ
信州の樵です。

かつて、エガオヲミセテという競走馬がいました。彼女は不幸な事故でこの世を去ってしまいます。ということは全く関係がないのですがブログのタイトルを考えていたらふとこの名前を思い出しました。
「笑顔」とは、人のみが獲得した最強のコミュニケーションツール。大きな力を秘めています。だからみんなで、笑顔を見せて!

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